『京都』創刊号は、A5判88ページ、頒価60円であった。
この号の執筆者は、巻頭言に『八月のことば』として京都大学の 猪熊兼繁教授が<夏は暑いものである。 この暑い夏のなかでも、とりわけ京の夏は暑い。…>と京都の夏の風物詩が記されている。 次に『洛中点描』吉井勇が<夏ちかき京のつむじに往き逢ひし祇園 老妓のものの言ひよう>と多佳女のことなどを詠んでいる。
『京の宿にて』武者小路実篤は、<「松園」は僕の定宿であり>と記 しているが、そのとおり、昭和18年当時に祇園下河原の「松園」に 梅原龍三郎画伯とともによく泊まっていた。 柴田若女将がお気に入り でよくカボチャなどの野菜の画を描いていたのを思い出す。後援者の 河原町荒神口で歯科医をしていた柏井郁三郎氏がよく訪ねて来ていた。 筆者も中学一年生の時に「松園」へよく遊びに行き、梅原画伯からよく「ボン描いてやろうか」といわれ「いらんわ」とこたえ、惜しいことを したと思っている。 そのほか『京の肌』高岡智照尼、『陶器放談』清水六兵衛(先代)、『夏 の茶の湯』井口海仙,『茶庭めぐり』重森三玲、『京ことば』新村出等々懐かしい名前が見受けられる。 座談会も開かれ『京のよもやま話』として富本憲吉、花柳章太郎、 市川紅梅が出席しており、芝居の内輪話が面白い。 この『京都』創刊号の編集中に国宝金閣寺が焼失し、口惜しい限りと編集後記に書かれているが、50年後の金閣寺が燦然と輝いていて今も多くの観光客が参詣していることを、タイムトンネルがあれば知らせてあげたい。
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)
1885〜1976 小説家で戯曲家。 東京帝大中退。 志賀直哉らと『白樺』をつくる。 空想社会思想の「新しき村」を終生支持する楽天家。 若者がよく読んだ『友情』のほか『真理先生』『馬鹿一』 など思想小説を書く。 野菜等の画を誰にでも描いてやり画商が嘆いていた。
吉井勇(よしいいさむ)
1886〜1960 歌人で小説家。 早稲田大学中退。 処女歌集の『酒ほがひ』は当時の若者に大受け、これにより 歌壇の地位が確立された。 人生の大半を京都で過ごし、特に祇園を愛した吉井が詠んだ 『かにかくに・・・』の歌碑は、祇園新橋のお茶屋「大友」 の跡地に立っており毎年記念の集いが行われる。
50年前の人気コーナーより
ハローくんこと北村ただし氏(漫画家)が“東横”、“大映”、“松竹太秦”の映画スタジオを訪ね歩き、時代劇の大スター市川右太右衛門にインタビューを挑みます。阪東壽三郎や山田五十鈴、水戸光子に宇野重吉も登場し、当時の撮影所の様子が楽しくレポートされています。
“グランドホー”に“美松ダンスホール”。 50年前には社交ダンスブームが訪れ、市内の各地にはダンスホールがたくさんありました。 内気でフェミニストのハローくんと、初代編集長の臼井氏が緊張しながら華やかなダンスホールを見学します。
「河原町四条に立って眺めると、夜の空をくぎって美しいネオンが明滅する。 鴨川に向かって、不二屋の菓子、スター食堂。 西の方には名誉冠の酒、高島屋、サロン菊水。 南は公楽会館、ひなどり。北はスエヒロ、アストリアなどの光彩が光っている…(本文抜粋)」 当時の編集室スタッフがおすすめの“夜の京都”をご紹介します。