| 明治5年に始まった都をどりは、80年にわたり伝統を伝えてきましたが、太平洋戦争のため昭和 19年に休演されました。しかし、戦後の復興と共に都をどり再開の声が高まり、7年ぶりに再び往 年の艶姿を現すこととなりました。 作詞は歌人の吉井勇、振付は井上八千代などといった豪華な顔ぶれで仕上がった演題は「京洛 名所鑑」と名付けられ、330名の祇園の芸妓・舞妓がその艶を競いました。 観客は20万人を越える大盛況となり、入場料合計は4000万円にも達したそうです。 |
| 三条大橋は、天正17年(1589)、豊臣秀吉が増田長盛に命じて架けさせたのが始めといわれ、 日本で最初の石柱橋ともいわれています。また、東海道五十三次の起点(終点)でもありました。 度々の水害で流されはしたものの、幕府の管轄する公儀橋としてすぐに修復されました。明治14 年(1881)の修築に続いて大正元年には新しく架け替えられ、現在の橋は昭和25年11月に架 橋されたものです。明治の末まで鴨川の夕涼みは、橋の下にまでしょうぎ床机をせり出してにぎわいをみ せていました。 |
| 夕刻に屋外で薪をたいて能を演じる「薪能」は、今から600年前の室町時代、奈良・興福寺の薪 猿楽が歴史的に最も古いのですが、最盛期の江戸時代を経て、明治以後長らく途絶えていました。 これを現代風に再現した第1号が、昭和25年5月23.24日に平安神宮で行われた「京都薪能」 です。 両日の番組は、能:「翁」、「葵上」、「羽衣」、狂言:「業平餅」、「花折」など。第1回の「京都薪能」は 5000人以上の見物客が集まりる程の想像以上の成功を収め、これより京都の年中行事として 発展し、現在に至っています。 |
| 昭和25年7月2日未明、放火により国宝金閣寺が全焼しました。犯人は、同寺徒弟の大谷大学生(21)。金閣の美への嫉妬、寺内の封建的因習への不満から放火を決意し、自分も燃え上がる 金閣と共に死のうとしましたが恐くなって逃げ、裏山の左大文字で睡眠剤を飲み、短刀でのどや 胸を刺して昏睡しました。その数日後に放火犯の母親が列車から保津峡に投身自殺をし、犯人に は懲役7年の判決が下されました。 金閣寺はその後、昭和30年に再建され、63年秋には金箔が全面に張り替えられ、現在の姿とな っています。焼失する前までの金閣には誰でも上がることができたそうですよ。 |
| 昭和9年の室戸台風に次ぐ強力な勢力のジェーン台風が、昭和25年9月2日〜4日にかけて、関
西から北陸地方、北海道にまで及び被害をもたらしました。特に京阪神地方の被害は大きく、京都市内では市電が不通になり、塀や電柱が倒れ、電気・ガス・水道が麻痺しました。 被害状況:死者336名、行方不明者172名、負傷者2万6062名 全壊戸数1万7062戸、半壊戸数10万1792戸 |
| 明治10年に開業した赤煉瓦造りの初代京都駅は、京都で最初の西洋建築物でした。 当初の京阪神所要時間は、約1時間53分でした。 大正3年に新装された二代目京都駅は、当時日本一の規模で、入り口正面には時計が掲げられ、 1階に理髪店、2階に都ホテルの食堂があり、賓客用の「特別休息室」なども設けられていました。 しかし、昭和25年11月18日、失火のため焼失しました。 その後、三代目京都駅が昭和27年5月に竣工。そして、景観論争を巻き起こした現在の巨大な 四代目京都駅は、地上16階、地下3階、高さ59.8m、東西470m、総工費1500億円をかけて、 京都の表玄関として平成9年に開業しました。 |