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歌人・田中保子氏の連載・第7弾、好評連載中!
どうぞお楽しみください。

文・田中保子(たなかやすこ)

歌人。短歌の会BOU主宰。 著者に『歌のおとづれ』(白川書院発行)など。



第四回   入梅の六月から七月に 7/2 UP!
第三回   五月 「牡丹」
第二回   四月 「石楠花・しゃくなげ」 
第一回   三月 「桃」

  第四回  入梅の六月から七月に
紫陽花(アジサイ)と 定家蔓(テイカガスラ)

紫陽花のことを考えていると寺山修司を思い出します。
森駆けて来てほてりくるわが頬を埋めむとするに紫陽花暗し
紫陽花の芯まっくらにわれの頭に咲きしが母の顔となり消ゆ
アルコール漬けの胎児がけむりつつわが頭のなかに紫陽花ひらく
 寺山の作品はいつも切りたての花のようにみずみずしく美しいと思います。
昔、河原町三条上がる東側にフランス式ゴチックの美しい、カトリックの聖堂がありました。 わたしどもは河原町の天主堂といって親しんでいました。赤煉瓦のその壁にもたれるように、しっとり露をふくんだ紫陽花が咲いていました。
京都は早くにキリスト教の布教がなされた町です。 現在の京都には見られないモダンな美しい街でありました。
 定家蔓は夾竹桃科、定家蔓属の常緑蔓性の木、古木には長さ10メートル以上のものもあります。 木や岩などに這って生育するので漢名を「絡石(らくせき)」といい、また「石綱(いわつな)」の古名で万葉の昔から親しまれてきました。
花は直径二、三センチの芳香ある白花、後に黄変しますが、形が梔子に似ていますから「つるくちなし」の別名もあります。
谷狭(せば)み峯べに延(は)へる石綱の延へてしあらば年に来ずとも 【 万葉集 巻十二・三〇六七】
ところで、定家蔓はその名のごとく、藤原定家の古墳の石に生じたと伝えられる蔓ものですが、若くして逝った定家の恋人、式子内親王を傷み、彼女への 執心から定家みずからが蔓となり、彼女の墓にからみ長くは離れずにいたので、この名があるともいいます。そのことは、謡曲「定家」に式子内親王との恋物語として伝えられています。
  なお、式子内親王の墓は、千本今出川東入る北川北入るにあります。 定家の 墓は嵯峨小倉山の麓、厭離庵、彼が小倉百人一首を選した山荘跡にあります。
物語通りそれらの墓に見られなくとも、嵯峨小倉山あたりを季節に散策なされば見られるはずです。

  第三回  五月 「牡丹」
牡丹の花を詠んだ短歌や俳句はたくさんありますが、俳句では高浜虚子の
白牡丹いづくの紅のうつりたる
 とか、森澄雄の
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに
 が好きです。
 蕪村にも有名な牡丹の句があります。左京区一乗寺の金福寺には蕪村のお墓があります。お墓の前にはその句が書かれた札が立っています。北白川あたりから散歩するのには程よい距離ですから、わたしはよく出かけます。そのお墓は山の際のわずかばかりの平地にあって、
牡丹散て打ち重なりぬ二三片
 の句も読めました。
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
 の句がすぐに連想されますが、ふりかえりますと、この場所は、思いがけなくに市中を一望できるところです。ここからの眺めは、ちょうど京都を東北の隅から眺めることになります。取り立てて素晴らしいというわけではありませんが心惹かれる眺めです。
 さて、京都で牡丹の花の見られるお寺は洛西の乙訓寺、お宮さんなら大原野神社ということになりましょうか。乙訓寺は歴史が古く、長岡京以前からあったお寺です。その数、百株余の花が咲き競います。大原野神社の参道には桜と楓が植えられ、春と秋には賑わいますが、初夏に咲く牡丹も見事であります。なお牡丹は中国では「花王」、「百花王」「神花」「富貴花」などと呼ばれて国を代表する花となっています。日本に渡来したのは定かではありませんが、古くには「ふかみぐさ」として現れています。

  第二回  四月 「石楠花・しゃくなげ」
 やや早いようですが、石楠花とまいりましょう。
桜はやがてに散ってしまって、市中におりますと汗ばむほどの日々になってまいります。京都の北を目指してまいりましょう。京都バスで、出町柳から約一時間、ちょっとこわいような崖っぷちを幾曲がりして山の奥まで。降ろしてもらったところは、まるで何処からも絶縁されたような谷間の行き止まりです。そこから渓流沿いに、ごろごろ石の道を歩きましょう。扁平な道ばかりでなく歩くとはそういうことです。そうしていますと、岩をくぐる清冽な水の音だけが聞こえてまいります。そこは雲ヶ畑です。
  昔、わたしは祖母とよくそのあたりを歩きました。祖母は虚弱な体質であったわたしを鍛えようとしたのでした。祖母は細縞の着物の裾をからげて、そのはしをきりっと、帯締めにはさんですたすたと歩いていきました。いっしょうけんめいついて行くわたしに、「石車にのったらあきまへんえ」と注意してくれるのでしたが、小石の上に靴をのせますと、ころがるから危ないのでした。
  その時、祖母が指差した渓流の向い側の斜面を見ますと、葉は枇杷に似て大きく、つつじの木より少し背の高いこんもりとした木に、紅むらさきの花が寄り添って、手まりの形になって、たくさん咲いていました。石楠花です。石楠花は古生層の岩山に多く群生している木ですが、雲ヶ畑のこのあたりは、昔、都から離れて、身を隠さねばならなかった人たちが棲んでいたところでした。隠れて暮らすには、都からの距離もほどよく、険しい自然に守られておりましたから、もってこいの場所であったと思います。
石楠(しゃくなげ)は寂しき花か谷あいの岩垣淵に影うつりつつ
石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな

                                 島木赤彦
  この歌は赤彦が「木曾街道より入ること六里にして氷ヶ瀬に至る」と詞書した十首のなかの二首です。じっくりと読んでいますと、子供のころに初めて出合ったときのその花の様子がまざまざと浮かんでまいります。その後も出会う機会はありましたが、乾燥を嫌って日陰を好む性格から、お寺の冷たい苔庭にも紅むらさきの花を見ましたが、よく似合っていることに感心しました。
  ところで、石楠花の花言葉は「警戒心を持て」とか「危険」とかいいます。何か頷かされるものがあります。なお、この木でお箸をつくりますと、癪(しゃく)ががすぐに治りますので、癪を投げ捨てるに通じて、その名がついたとも聞いております。                            
  それから、よく、わたしは石楠花の開花のことなどお尋ねしたものですが、山間の方々は、そんな者に「町のお人は虫みたいなもんや、暖(あった)こなったら出てきはる」といわれたものです。全くそのとおり、しかしながら遠方からお越しのお方には無理もないこと、町では暖こ過ぎるようになる頃を見計らって、お出かけになるといいと思います。

  第一回  三月 「桃」
 桃の花のふっくらとふくらんでいる様子は、首筋や小耳のあたりに産毛の生えた、ういういしい女の子という感じがします。温かくなって、急に赤いおべべを着せてもらって出てきたものの、何となく野暮ったくはにかんでいるようすです。
雛祭る都はずれや桃の月     蕪村
 桃の節句の頃になりますと、思い出す一人の女の子があります。名前は桃子です。母の縁続きで歳は同じくらいでしたので、桃ちゃん桃ちゃんといって、仲良く遊んでいました。
 本当に名前のとおりにかわいい桃ちゃんでしたから、わたしは桃子という名前をつけてもらったから、こんなにかわいい子になったのだと、本気でひがんでいました。
 母方の祖父の法事の帰り道のことでした。母方の祖母は祖父の死後、五百年の老舗を女手一つで切り回している人でしたが桃ちゃんやら、わたし達子供を三条京極角に今もある「さくら井屋」という小間物屋さんにつれていって、「今日はおじいさんの法事やさかい、お供養に何でも好きなもん買うたげます」といってくれましたので、わたしは誰よりも早く、絹地のドレスをまとった大きな西洋人形を指さしました。桃ちゃんはと思ってふりむくと、桃ちゃんは店の入り口に立って、にこにこほほ笑んでいるだけでした。わたしは子供ながらにわかに恥ずかしくなったことを覚えています。
ほんによく晴れた朝だ
桃子は 窓をあけて首を出し
桃ちゃんいい子 いい子うよ
桃ちゃんいい子 いい子うよって
歌ってる

 これは八木重吉の「朝」という詩です。わたしの知っている桃ちゃんと関係ありませんが、桃ちゃんを思うと自然につながる詩です。

 桃の花はわざわざ見に出かけるような花とは受け取られてないかも知れませんが、出かけるとするなら、洛中なら御所、洛北なら鷹ヶ峰、また西山方面もいいと思います。
  ブルーの空をバックに咲いている桃の花を眺めていますと、春を満面に受けるような気がいたします。三月も遅いほうがよいと思いますが。



シリーズ6 京都歌ものがたり