清水山と呼ぶと、へえ、どこのことどすかいな、どこのお山どす? などといいたくなります。そうです、どなたさんもがああ、清水さんのことどすかいなということになってしまう、清水寺、こういっても、まだ、へえーといわれそうなお山で、「清水さん」と、一口にいうたほうが、手っ取り早いような山でございます。
さて清水山には申しましたように、日本一の観音さんの霊場、清水寺がございます。山の高さは242メートル、やわらかい丸みを帯びた山です。わたしたちは山もお寺もこめて「清水さん」と、こころあたたこうに呼んでいます。思いますと京都の人間のおかしなところは何でもええ、どうでもええと思ってしますとお互い、仲間同志の呼び方をしてしまうことでしょうか。かえって相手を親しくに感じてということになるのでございますが。ただの観光案内と違いまして。
さて、清水寺の創建は古く、京都に現存するお寺では太秦の広隆寺に次ぐ歴史のあるお寺です。創建は平安京より早く、坂上田村麻呂が本尊を安置、平安時代には観音信仰が盛んになり、奈良の長谷寺、大津の石山寺とも並ぶお寺となったのでした。平安時代から江戸時代にかけて度々火災に出合い、比叡山延暦寺の僧兵の襲撃にも度々、焼かれてしまいましたが、再建、現在の国宝本堂、舞台は徳川三代将軍家光が再建するところのものであります。
本堂よりちょっと小高いところにある地主神社は桜の名所、謡曲「田村」や「熊野(ゆや)」にも出てくるところで、そこでは豊臣秀吉らが派手な花見の宴を催したりもしています。
幕末の勤皇僧、月照が住持した成就院は本堂の西北にあります。安政5年(1858)幕府方の苛酷な追跡に西郷隆盛と月照は逃避行、西国の海に入水自殺をはかりましたが、西郷は助かり、月照は海中に消えたのでした。また、そこには、月照の忠僕、重助が主の功徳に始めたという忠僕茶屋がありましたが、いまはいかがでしょう、わたしはしばらく訪ねませんが。
最後に大事なことは清水焼のことです。起源ははっきりしませんが、室町時代かららしく、江戸初期からは野々村仁清により、天下に有名になりました。初めは産年坂あたりが中心地でしたが、次第に清水坂、五条坂あたりに窯場が移されたようです。さて、あらためて清水山はまこと有名で、『今昔物語』、『平家物語』をはじめ多くの文学作品に登場、清少納言も清水坂を上って参詣したと『枕の草子』には記しています。