紫陽花(アジサイ)と 定家蔓(テイカガスラ)
紫陽花のことを考えていると寺山修司を思い出します。 |
森駆けて来てほてりくるわが頬を埋めむとするに紫陽花暗し
紫陽花の芯まっくらにわれの頭に咲きしが母の顔となり消ゆ
アルコール漬けの胎児がけむりつつわが頭のなかに紫陽花ひらく
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寺山の作品はいつも切りたての花のようにみずみずしく美しいと思います。
昔、河原町三条上がる東側にフランス式ゴチックの美しい、カトリックの聖堂がありました。 わたしどもは河原町の天主堂といって親しんでいました。赤煉瓦のその壁にもたれるように、しっとり露をふくんだ紫陽花が咲いていました。
京都は早くにキリスト教の布教がなされた町です。 現在の京都には見られないモダンな美しい街でありました。 |
定家蔓は夾竹桃科、定家蔓属の常緑蔓性の木、古木には長さ10メートル以上のものもあります。 木や岩などに這って生育するので漢名を「絡石(らくせき)」といい、また「石綱(いわつな)」の古名で万葉の昔から親しまれてきました。
花は直径二、三センチの芳香ある白花、後に黄変しますが、形が梔子に似ていますから「つるくちなし」の別名もあります。 |
谷狭(せば)み峯べに延(は)へる石綱の延へてしあらば年に来ずとも 【
万葉集 巻十二・三〇六七】
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ところで、定家蔓はその名のごとく、藤原定家の古墳の石に生じたと伝えられる蔓ものですが、若くして逝った定家の恋人、式子内親王を傷み、彼女への
執心から定家みずからが蔓となり、彼女の墓にからみ長くは離れずにいたので、この名があるともいいます。そのことは、謡曲「定家」に式子内親王との恋物語として伝えられています。
なお、式子内親王の墓は、千本今出川東入る北川北入るにあります。 定家の
墓は嵯峨小倉山の麓、厭離庵、彼が小倉百人一首を選した山荘跡にあります。
物語通りそれらの墓に見られなくとも、嵯峨小倉山あたりを季節に散策なされば見られるはずです。 |