北白川山は、北白川山の元町(ヤマノモトチョウ)の東部、高さ一三〇メートルほどの丘陵です。地元では丸山とも、もともとその東の瓜生山の山頂にあった勝軍地蔵が参詣する人の便利のために下の山、北白川山に遷座したことから、その威厳のため瓜生山と混同して呼ばれるようにもなりました。
地蔵の移転は宝暦十二年(1761)ながら、現在もその影響は続き、その地に建設した大学の学園祭も瓜生山祭、そこに生活する人々も瓜生山と呼んでいますが、正しくは北白川山であります。
さて、江戸時代の地誌によりますと、白川村東北一帯の山はすべて白川山と呼ばれたとも見えます。北白川の名物は白川女です。かってこの山里は花の里と呼ばれ「女は献花をなりわいとする」といわれて、つい先ごろまで古来のしきたりによるいでたちで町に花を売り歩いていました。朝ごとのその花の何とみずみずしかったことか、ほんとうに惜しまれることです。
なお山腹、現在のバプテスト病院の裏手には、心性寺という寺の跡地がありますが、そこには江戸末期の歌人小澤芦庵の墓があります。芦庵を師事した太田垣蓮月は一時、この寺に身をよせていたことがありました。
世のうさもしら川山の夕ぎりに石きる音ぞあわれなりける
蓮月
このあたり、また白川石と呼ばれる美しい花崗岩の産地であったのでした。