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(一)湖底の風土
京都はかっては断層によって陥没した湖底であった。 (二) 東山三十六峰第一峰 比叡山、下山せぬ僧も・・・
登り道はドライブウェイのみではない、 (三) 如意ヶ岳は大文字山だけど
名の由来は平安時代、 (四) 神楽岡は吉田山、吉田野の山であった
京都の人間でも吉田山と神楽岡は別なんて思っている人がある。 (五) 粟田山 鐘は知恩院、聖護院
東山三十六峰は三条通りで分断される。 (六) 華頂山 円山の南、知恩院さんのお山
花鳥山、花頂山とも書かれるように、花鳥風月に富む山。 (七) 北山 材木の供給元として
京都市の北部を囲む山地。 (八) 北山(その二) 東から西へ尾根から谷へ
北山、西山といってもその名の山があるわけではない。 (九) 愛宕山 光秀の運命の岐れ路とも
愛宕山は京都を取り囲む連山の中で一番高い山、標高924メートル。 (十) 松尾山 平安京遷都以前の足跡が
京都は東、北、西と三方を山に囲まれた町。 (十一) 松尾山(2)〜延朗寺山 純に美しく
松尾山の常盤木の濃みどりに濡れるように囲まれて建つ松尾神社の、 (十二) 葉室山 竹の枯葉を踏みしめ辿る昔日の面影
葉室山は延朗寺山の南方。ここには延朗寺山の谷ヶ堂に祀られる延朗上人の弟子、 |
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(一) 水がつくる文明
山紫水明は自然の遺産への賛辞であった。 (二) 加茂川 変わらぬ男、女を映して
この川は1、賀茂川、2、加茂川、3、鴨川の三様の字で書かれる。 (三) 堀川は歴史に友禅に彩られ
堀川は加茂川の本流であった。 (四) 白川の水音はやはり恋しきものに
「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕のしたを水の流るる」 (五) 疏水 命の水として、水路として
その計画は平安末期に芽生えていた。 (六) 菊渓川 轟川 音羽川 東山山麓、地上から消えた名流
八坂神社の正門、石の鳥居から南を下河原と呼ぶが (七) 堀川 歴史に照りかげる水
堀川は運河である。 (八) 雲が畑川 惟喬伝説の地を流れて
雲が畑川は加茂川の源流、一名を小野川ともいい水源は桟敷が岳である。 (九) 保津川 舟子は舟を渚に寄せて客を待つ
保津川は丹波平野の水を集めて、嵯峨の峡谷を縫い嵐山にかかると (十)桂川 延暦年間に渡し守が
京都の中心地から西山に行き着くためにはかならず一度、桂川を渡らなければならない。 (十一)西芳寺川 小流れ沿いに苔をもとめて
嵐山の西方、烏ヶ岳に発し南東流して桂川に合流する川、松尾谷ともいう。 (十二)山田の井 人知れずこそ訊ねてみたい
西山の裾を流れる桂川は前に述べたが、京有数の大河として再び掲載する準備はある。 |
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(一) 平安京の成立
平安京は北方に大内裏、その南面の中央の門が朱雀門、 (二) 河原町通り 時代に沿い急速に発展
名のとおり、河原であった所、西側には秀吉築造のお土居が走っていた。 (三) 三条通りは京都の通り庭
平安京の三条大路。 (四) 山中越え、志賀越えとも呼んで
荒神口を起点に吉田、北白川をへて滋賀県坂本に至る道。 (五) 三条街道 東海道の一部として
三条通りといえば大方は三条大橋から西を思ってしまうが、 (六) 大和大路 北は三条から南は三十三間堂を越えて
大和大路は三条大橋の東にはじまり、 (七) 堀川通り 栄枯盛衰そのままに
平安京の堀川小路、北は上加茂から南は八条まで。 (八) 周山街道 康成の『古都』を思い出す
一条通りの延長線上にあるその道は、 (九) 千代の古道 千代の古道 跡はありけり
千代の古道は平安時代から、幾多の歌に詠まれてきた。 (十) 四条通り 全長七キロ余、東山から西山まで
四条通りは東大路の八坂神社の朱塗りの楼門から始まって真っ直ぐに西進、 (十一) 唐櫃(からと)越え まぼろしを手探りに
西山、西京区山田から亀岡市山本に向かい、 (十二) 唐櫃越え(2) 敵は本能寺にあり
光秀は現在の国道9号線老ノ坂峠道をわざと避けて、 |