| 京焼 開花は利休の時代に |
京焼は、室町末期、茶道の隆盛とともに、瀬戸焼に習った茶入などを東山山麓で焼き始めたことに始まる。
京都では、平安時代すでに緑釉陶が見られているが、庶民は土器を使っていたに過ぎなかったという。
色絵陶器が出て、京焼が開花するのは、やはり千利休の時代になって茶人好みのものが焼かれるようになってから。
ところで、京焼といえば仁清、、仁清は有田などに発した上絵付けの技法によって、京焼を創始した。
その影響を受けたのが乾山、その死後、清水では磁器を焼くようになり、以後、清水の色絵磁器が京焼の主流となった。 |
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| 京漆器 手仕事が丁寧、蒔絵に優れる |
漆技術は、奈良時代、中国から伝わり京都において習練され、室町時代になり中国の技術を追い越した。
漆器は本来、天然木が生地となる。ヒノキ、アスナロ、ケヤキが主。
生地を充分乾かし、「布きせ」といって、生地の割れを防ぐため、木綿の布をかぶせる。
その上に下塗り、中塗り、上塗りを経て極上漆で仕上げる。
蒔絵や沈金はその上になされる。京漆器は手仕事が丁寧、蒔絵などに手が込んでいることを特徴としている。
漆技術は初めは仏具や武具などに使われ、江戸時代大きく発展したのであったが
当時は各藩で漆を強制的に栽培させたという。 |
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| 京七宝 極楽の荘厳さを表現 |
七宝工芸はエジプトに始まり、シルクロードを通り、中国から仏教とともに日本に伝来した。
そもそも七宝とは、金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、しゃこ(貝)、瑪瑙の七つの宝石のことで、
極楽の荘厳さを表現した仏典にある言葉。
七宝工芸はそれらの華麗な色合いを化学的化合物である釉薬によって作り出す。
往古の七宝で現存するのは、宇治平等院鳳凰堂の金具、桂離宮の釘隠しなど。
それら七宝は「泥七宝」といわれた。現在の基礎ができたのは、文化年間に入ってから。
京都の七宝は精緻を極め、外国人に人気を博した。 |
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