今年はどちらものようですが、京都の真夏の暑さはまたひとしおです。芙蓉の花はそのような八月から開き初め、十月頃まで咲きつづけ、目も覚めるばかりの淡紅色や、雪のようなふわりと白い花は、厳しい暑さを忘れさせてくれます。
芙蓉の花のことを思いますと、私は川田順という歌人のことを思い出します。 |
このねぬる朝明(あさけ)のそらの雨ぐもり芙蓉の花に眼のさめむとす
朝庭に芙蓉の花を折りしかば吾が手に移り蟻はしるなり
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順は鹿ヶ谷の法然院近くに住んでいたことがあって、二度目の夫人になった方と知り合ったのはその頃でした。その方はすでに結婚をしておられ、一人のお嬢さんもありました、お嬢さんとわたしは岡崎の裁縫教室でいっしょでしたので、お二人のことについては、お話をよく伺ったものでした。お話しの中身はほとんど忘れてしまいましたが、わたしの母も似たような事情でありましたから、お嬢さんの気持ちも何となくわかるような気がして、やがて川田夫人となられるお母さんに対する複雑な気持ちを聞いてあげることが出来たのではないかと思います。 |
裁縫の先生の家の表庭には、四方に広がる大きく枝の広がった高さ三メートルばかりの芙蓉の木がありました。真夏には窓から手を出しますと、つい、届くぐらいのところにまで、芙蓉の花が咲いておりました。そのころ冷房というものは何処の家にもありませんでしたが、風の筋というのでしょうか、開け放った北窓から、南の方へ風が吹き通り、窓から見える芙蓉の花が大きく揺らいでおりました。
今も芙蓉の花を見ますと、その頃が偲ばれてなりません。
その後間もなくわたしたちも結婚し、ぷっつり消息は絶えてしまいました。
先日繰っておりました『虚子自選句集』に |
柔らかに虫ばむ花の芙蓉かな
夕しぼみせる芙蓉花に指ふるゝ
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などがみられましたが、やるせない気持ちにさせられます。
芙蓉の花は京都なら千本釈迦堂の本堂の裏、祗園白川橋付近にもことのほか美しゅうに咲いているのが見られます。 |