文・田中保子(歌人・エッセイスト)

その1 祇園祭の粽は食べられない
 近年、鉾から粽を投げることをしなくなりましたが、粽はやはり、鉾の上から投げられるのを苦労して、手に入れた方がご利益がありそうです。子供の頃、いっしょうけんめい手をのばしてつかんだ粽に、餅がつつまれていなくてベソをかいたことがありました。  しかし、これは当然のことで、祇園祭の粽は食べるものではなく、疫病退散を祈願した茅の輪が変化したもので、持ち帰って家の軒につるすものです。これには次のような伝説があります。 八坂神社の祭神牛頭(ごず)天王が、女のもとへでかけた帰り道、日が暮れて宿を借りようとしたところ蘇民と巨旦(こたん)の兄弟の家がありました。
 蘇民は貧しく巨旦は金持ちでしたが、巨旦に断わられ蘇民の家に泊めてもらい、八年後ふたたび訪れた時、急いで茅の輪をつくれと命じました。ところが、その夜から急に疫病がひろがり、茅の輪を軒につるした蘇民の家の者だけが生き残り、子孫が国をつくったということです。 新羅から伝わったこの話で、牛頭天王はわが国でも、疫病退散の神として崇められることになったのでした。
 
その2 無言詣り
 昔にかわらぬものの一つに、祇園にいまだにつづいているというわさされる無言詣りがあります。 宵山から還幸祭の前夜までの七夜、毎夜欠かさず四条のお旅所へ夜詣りをするのです。行きも帰りも、口をきいたり、笑ったりできません。もしそのようにしたら、悲願が成就しないのです。 祇園町だけでなく、近年のこと、その話を伝え聞いたふつうの家の娘さんが、親の許さぬ結婚を悲願して無言詣りをするということがありました。四条小橋を、うつむきがちに、すたすたと歩くその人に、顔見知りが声をかけたそうですが、ふりむきもせず必死の表情でしたとか。夜更けの納め囃子の音も聞こえぬ気に、まるでお百度をふむような足どりには、女の思いつめた心がにじみ出ていたそうです。 宵山の人ごみにまぎれて、異様なまでの悲願を体内にこもらせて歩いている人もあるのです。
その3 女人禁制
 約千年の間、女人禁制を守ってきた鉾に女性がはじめてあがったのは、第二次世界大戦後間もない年の夏でした。月鉾や長刀鉾が男女の区別なく、一人三〇円であがらせていました。それなのに会所から鉾にかけられた橋には「これより先不浄のやから、並びに女人登るべからず」と記した古板が、いかめしく打ちこまれてあったのです。
「こわいことや、いまだに、たたりがあるえ」と年寄りたちは、ささやいていましたが、その翌年、月鉾が倒れるという、祇園祭はじまって以来の事故がありました。 もう一つの女人禁制は、わが子が長刀鉾の稚児ときまり、五位の少将一〇万石の位をもらったその夜から、母親といえど、「衣類、食膳のいっさい女人の手に触れしめざること」という戒律にしたがわねばなりません。これは現在も守られています。
その4 祇園祭は“はも”祭り
 はもは、梅雨の水をたっぷりのんだものが、おいしいといわれます。増水した鴨川の床で、祇園囃子の練習がはじまる頃、それが京都の市場につきます。 京都は海に遠い都でした。魚といえば川魚か、若狭の一塩もの、それに北海道の干物でした。はもは首に包丁を入れると三日も身がしこらないという魚で、鮮魚に乏しかった京都人がそこに目をつけ、骨切りという手法を考え、夏の食膳に供しました。 料理法は、ぼたんはも、梅肉でさっぱりたべる湯びきはも、源平焼き、はもずしなどがあり、まさに京都の盛夏ははも一色となります。さらに皮は酢のものに、骨はだしに、うき袋ははもの笛と称してお汁に浮かせます。何一つ粗末にしないのが、京都の家庭料理です。 それから、昔の子どもたちは親たちから、[はれ]と[け]ということを教わりました。つまりごちそうの時と、ふだんをきっちり区別することです。はもはごちそうですから、祇園祭の時だけ、とびきりおいしいものをいただきます。
ところで、八坂神社の祭神スサノオノミコトは“うり”が お好きです。うりとはもの皮の三杯酢は、お酒に最高の一品です。
その5 お千度
 お千度(せんど)する・・・という言葉があります。いうまでもなく千回も万回も通うたとえのことですが、エネルギーを感じます。 祇園祭には七月一日に長刀鉾の稚児のお千度の儀があります。町内の人たちと稚児が八坂神社に詣り、本殿を三周して古式による拝礼をします。ほんとうは、千周して祈りを捧げる気持ちであると思います。 氏子の町内では祭の時だけでなく、折にふれてお千度をしました。大人も子供も、一五センチくらいの竹べらを一握りずつ持って本殿を回ります。「おせーんどんどんどん」とうたって、一回りすると一本、木の筒に入れます。子供たちは遊びのうちに、信仰の宿る思い出をつくることができたのでした。 話は変わりますが、私たちの先祖は天明の飢饉に米価の下落を願って禁裏へお千度をしました。東京遷都の時も、反対の旗を押し立てて同じことをしました。それは京都の実直な庶民のエネルギーであったと思います。祇園祭もまた、お千度しても・・・という心からのあつい信仰がうごかしているものなのです。
 

←もどる